驚愕の事実 死後の世界
キリスト教徒である脳神経外科医エベン・アレグザンダー氏(ハーバード大学教授)が臨死体験により見たもの

驚愕の事実
アメリカの脳神経外科医エベン・アレグザンダー氏(ハーバード大学教授)の臨死体験
2008年11月10日早朝に、背中に激痛が走り入院
検査の結果、細菌性(大腸菌)の髄膜炎と診断される。
髄膜炎は、無菌性・細菌性・ウイルス性の三種に分類され、
その内細菌性が最も死亡率が高く、たとえ治っても植物人間に成る可能性が高い。
髄膜炎は、脳が異常に腫れ大脳皮質が頭蓋骨との圧迫により、
思考・夢・幻覚などが全く出来ない状態になる。
にも係わらず、アレグザンダー氏は臨死体験をされる。
<地下世界>に落ちる
そこは暗い場所だった。闇でありながら、視界が効く暗がりー泥の中に沈んでいながら、
泥の中に沈んでいながら、泥を通して物が見えるような暗がりだった。
それとも汚らしいゼリーの中と言った方がいいかもしれない。
略
臭いが漂っていることにも気がついた。血のような、排泄物のような、ヘドのような臭いだった。
(これを仏教では糞尿地獄と言う)以後( )は仏教の事を指す。
そこにいる以前の記憶がなかったので、そこでの時間はどこまでも限りなく広がっていた。
何か月か、それとも何年か、いや永遠にいたのだろうか。
(この世とは時空が異なるので)
<天上世界>(浄土)
私は上昇し始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと音をたてて開口部をくぐり抜けると、
見たこともない別世界が広がっていた。
ただ美しい、夢のような世界・・・・
だが、それは夢ではなかった。
まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとりさせられる、目のくらむような・・・・どれほど
形容詞をつらねてみても、その情景と感動はとても表現しきれない。
そこでは自分が誕生しつつあるように感じられた。
略
上空のはるかな高みでは、キラキラ輝く透明の光の球が、弓なりに弧を描いて空を横切りながら飛びかっていた。
あれは鳥だろうか。それとも天使?
{仏典ではこれを迦陵頻伽(カリョウビンガ)と示されている}
さわやかな風が吹いた。木の葉を揺らし、天のささやきさながらにさやさやと駆け抜ける、最高に気持ちのいい
夏の日に吹き渡る清風を思わせる風だった。
すがすがしいその風が吹き抜けると、あたりが一変し、波動がさらに一段階上のオクターブに変容した。
{仏典では、(清風が吹くと、宝樹は、さまざまな音声を出して自然に調和し、妙なる調べをかなでる)と説かれている事と、全く同じである}
<神(阿弥陀仏)の存在>
神の存在はきわめて間近に感じられ、自分との間にまったく距離がないように思えた。
しかしそれと同時に神が無限に広大であることがわかり、略
無償の愛(慈悲)を注ぎ、全知で全能である神、言葉をもってしては説明のできない存在。
略
存在(阿弥陀仏)には人間への理解があり、人間と同じ性質を持ち合わせていたが、その度合
いが桁違いに広く深かった。私のことも知り尽くしていた。
略
我々は一時的に忘れてしまっているのだが、それら(阿弥陀如来)に対して心を開けば、この地上での歩みに手を差し伸べてもらえるのだ。
愛されていない人はいないのである。
創造主は一人ひとりに精通した上で目を配り、人間の理解が遠く及ばない深さでわれわれを慈しんでいる。
われわれはそのことに気づかなくてはならない時期に来ている。
{浄土真宗では、これを他力本願と言い、他力とは阿弥陀仏のことであり、本願とは第十八
願のことであり、即ち(全ての人々を救う事ができなかったなら、仏としての命を捨てる)と
大無量寿経に示されている}
<ある女性の存在>
(その天上世界で)そばにだれかがいるのがわかった。隣を見ると、それは深いブルーの目を
した頬骨の高い、美しい女性だった。
女の人は言葉を介さずに私に語りかけてきた。
「あなたは永遠に、深く愛されています。」
「恐れるようなことはなにもありません」
「あなたのすることは、なにも間違いがありません」
それを聞き、たとえようもない安心感が、嵐のように渦を巻いて押し寄せてきた。
略
「いろいろなものを見せてあげます。けれどもいずれは帰ってもらいます」
コアの世界(浄土)入っていくときに、言葉を使わずに伝えられてきた(女性からの)メッセージが思い出された。
その後エベン氏は、奇跡的に意識が戻り全快される。
エベン氏自身幼少の頃、事情が有って、里子に出されたが実は本当の家族が有った。
その家族とは病気に成る以前に一度コンタクトは取ったが、未だ一度も会った事が無かった。
退院後四カ月程して実の妹から手紙が来て、その中には家族の写真が入っていた。
何とその写真の中に、コアの世界(浄土)で横にいた女性が写っているではないか?。
驚いたエベン氏は、早速実の妹に事情を聴くと、その女性はエベン氏の実のもう一人の妹で
数年前に亡くなっていたのだった。
以上の事からも分かる様に、エベン氏の体験したものは夢や幻覚などでは無く、歴然とした
事実である事が証明された。
では、エベン氏の体験がキリスト教では無く、仏教なのか?
「人間はきわめて重要な存在なのだ、人間はこの世界で神になる存在に向かって成長するのである。」
( 仏教では、それを成仏と言う。)
キリスト教では、人間が神になると言うことは絶対受け入れられない。神は唯一無二の絶対的な存在であるからである。
「自分が常に愛されてきた事がわかり、宇宙に存在する人々全員が愛されていることを知った。」
エベン氏の言う愛は、無償の愛の事であり、一般に言われる愛では無い。
仏教では、一般に言われる愛は迷いであると説く、何故なら、愛と憎しみは表裏一体であるからである。
愛が深ければ深いほど、裏切られれば、憎しみも多くなる。
聖書では、ノアの箱舟やソドムの町のように、神に従わない者は、全て滅ぼされている。
しかし仏教で説かれる慈悲は、母が子を思うように、どんなに裏切られても、その子を見捨てることの出来ない親心そのものである。
(詳しくは、詳細のアインシュタイン氏の項目を参照してください。)
阿弥陀様は、第十八番目の誓いの中で、弥陀の救いを求める全ての衆生を救う事が出来なけ
れば、自らの仏としての命を捨てても良いと誓われている。(本願)
オーム(エベン氏はコアにおられる偉大な方をオームと呼ばれる)は、私に語り掛けた。
「宇宙は一つではない。お前の理解を越えるほど数多い宇宙がある。しかし全ての宇宙がその中心に愛(無償の愛)を持っている。」
これは、仏教で言う曼荼羅(まんだら)世界そのものである。
宇宙には始まりも終わりも無く、神は宇宙のあらゆる粒子に内在している。
これも、悉有仏性(しつうぶっしょう)即ち全てのものに仏性が備わっている。
「闇の中から何らかの姿が現れた。ゆったりと回転しながら、金色がかかった絹糸のような
白い光をさんさんと放射している。光に照らし出され、周りの闇が崩壊し始めた。」
略
「光はぐんぐんとこちらに迫ってくる。回転しながら放射される光の筋には、うっすらと金色がさして見えた。
やがて光の真ん中に別の何かが出現してきた。それを見極めようと意識を集中させる。そこに見えたのは、
開いたすき間だった。ゆるゆると回転している光そのものを通して私はその ゛向こう側 ゛を見ていたのだ。」
親鸞聖人の、教行信証には、阿弥陀様のことを「色もなし、形もなくおわします」と言い、
また「不可称、不可説、不可思議」即ち色も形もなく、我々人間が説明することも、考える
ことも出来ない存在であると言われている。
以上の事から、仏教・特に浄土真宗とほとんど変わらない世界をエベン・アレグザンダー氏が体験しているのと見ていいのではないでしょうか?
ここで一つ疑問に思うのは、エベン氏の様に多くの人の命を救い、善良そのもののエベン氏が何故地獄に落ちたかと言うことです。
仏教では、三業を説き、自分では気づかない内に毎日多くの罪を作っているのです。(三業については詳細を参照してください)
地獄とは、自ずからの業の苦しみと言う意味から自業苦とも書きます。
では、地獄に落ちないで死んで直ぐに浄土に行けるのかと言うと、
エベン氏も言うように、親鸞聖人は、阿弥陀様の御心(信心)を頂くだけで、死ななくても
この世からすばらしい喜びの心が頂けると仰っています。
正信偈には、獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)と示され、即ち「親鸞は信心を頂き、一生に一度有るか無いかの大変な喜びを頂きました。」と
真情(偽らない心)を述べておられる。
それでは、どの様にすれば阿弥陀様の信心(救い)を頂けるのかと言いますと、聴聞に極まると言われています。( 詳細)
聴聞とは、ただお寺に参って法話(阿弥陀様の御心)を聞いていくだけで有ります。
その外に何の修行もいりませんし、する必要も有りません。
日本全国には浄土真宗のお寺が2万以上在りますし、世界にも真宗教会が100以上有ります。
今は昔と違ってどの寺でもイスが置かれていますので、お気軽に聴聞して下さい。
尚、以上は弧杉英章氏(華光会講師)がエベン氏の本を読み、極めて真宗に近いと気付かれ、それを元に私なりに書かせて頂きました。
華光会 https://keko-kai.la.coocan.jp/
97年前日本に来日したアインシュタイン氏が涙したわけ↓
https://17727.cms.webnode.jp/%e3%81%93%e3%81%ae%e5%85%ac%e5%9c%92%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/