
<アインシュタインと仏教>
アインシュタインが宗教、中でも仏教に興味を持っていたことは、何冊かの著書に示されています。
そのいくつかを紹介すると、「宗教なき科学は欠陥であり、科学無き宗教は盲目である」「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である」
アインシュタインは1922年(大正11年)に来日した折に西本願寺に来られ、近角常観師とお会いになり、「仏様とは、どんな方ですか」とたずねると
近角師はいきなり「おばすて山」の伝説の話をされました。
息子が母親を背負って山へ、その時母親は木の枝を折っている。息子は母親が家に戻る時の目印だろうと思っていたのですが、息子は帰り道で迷い、その折れた枝を頼りに家に帰りつきます。そして、ふと息子はその母心に気づき、あわてて母親を山から連れ戻した―この話を近角師は切々とされ、
アインシュタインさんは深い感動と共に、涙ぐまれたそうです。
自分を捨てる我が子を捨てる事ができない母心、それが仏様のお慈悲です。仏さまに背を向けているにもかかわらず、慈しみのこころを持って、救わずには
おれないとはたらき続けておられる、それが仏さま、阿弥陀さまなのです。
https://www.ryukoku.ac.jp/alumni/buddhism/82.html
< 科学と仏教>
殆どの宗教(キリスト教やイスラム教)は、科学と激しく対立します。
しかし仏教は、東大教授の戸塚洋二氏(ニュートリノの研究でノーベル賞候補だった)が「科学が進めば
進むほど、仏教の真実性が明らかに成って来た。」と言い。
最先端科学の量子力学でノーベル賞を取られたハイゼンヘルク氏・シュレーディング氏・ニールス・ホーア氏
の3人の方が量子力学と仏教との類似性に驚き、仏教を絶賛しています。
又仏教の宇宙観において、仏教では人類の存在する所を娑婆世界と言い娑婆世界 が千個集まって小千世界、小千世界が
千個集まって中千世界、中千世界が千個集まって3千大千世界と言う。
この3千大千世界は銀河系であり、その銀河系かチリの様に宇宙に浮かんでいる世界を十方微塵(みじん)世界と言う。
最近アメリカのナサが、銀河系が宇宙に2兆以上浮かんでいると発表した。
お釈迦様は2600年前にこう言う事を示されているとは、驚くべき事である。
< 三業 >
三業とは、身業・口業・意業の事であります。
身業とは、身でもってする業(行い)で、人を殺したり、人の物を盗んだりす
る事で有ります。
口業とは、言葉でもって人を殺したり、傷を付けると言う事で有ります。
例えば、学校の先生や同級生が、自分はそういうつもりでは無いのに、生徒
を死に追い詰めると言う事が有ります。
意業とは、たとえ凶器を持って人を殺す事が無かっても、心の中でアイツさえ
いなければ、と思っただけで人を殺したのと同じ罪に成ります。
<いじめと仏教>
仏教では、自業自得と言うものが有ります。
自ら行った行為は必ず自分に返ってくる。地獄の意味は、自らの業(行為)の苦しみとも言います。
従ってエベン氏の体験とこの事を生徒に熟知させれば、いじめなども殆ど無くなるのではないでしょうか?。
学校では宗教はNGと言わないで、もっと宗教から良い点を学んで、子供の利益に成る様に
利用する方が子供のためになる様に思いますが・
ただ法律の問題やいかがわしい宗教が有るので致し方無い面も有りますが。
<親鸞聖人>
私は親鸞聖人を、最も信頼の置ける方だと思います。
なぜかと言えば、世に聖人(せいじん)と言われる方は多くおられます。
しかし、親鸞聖人ほど、自らを赤裸々に世に示された方は他に居られないのでは無いでしょうか?。
親鸞様の言葉に、「誠に知んぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、
名利の太山に 迷惑 して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証(さと
り)に近づくことを快しまざるを、 恥づ べし傷むべし。」 教行信証
「ほんとうに身をもって知った。悲しいことに、この愚禿親鸞は愛欲の広い海に沈みこんで
しまい、名利の大きな山に踏み惑って、浄土で仏になることが約束された人々の仲間に入る
ことをうれしいとも思わないし、真実のさとりに近づくことを快いとも思わない、恥ずか
しいことである、かなしいことである、と。」東本願寺のホームページより
又「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎(へび・サソリ)のごとくなり 」とも仰っている。
これ程自己の事を徹底して見つめられる方がうそ偽りを言う事が無いと思います。
その親鸞聖人が、「阿弥陀様はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」
とエベンアレキサンダーと全く同じ事を仰っているのを見ると、親鸞様はきっと阿弥陀様とお会いになっていたに違いありません。
否、現実に阿弥陀様とお会いにならなければ、あの様な事を言う人では無いのであります。
<創造主 全知全能>
エベン氏は神のことを創造主並びに全知全能と言われている。
そこの所は、阿弥陀仏とは違うのでは無いのだろうか?と疑問を
抱かれる方は少なくないと思います。
ではエベン氏が神と言うところの神が創造主並びに全知全能であったら、
無償の愛とは言えなくなるのでは無いでしょうか?
もし神が創造主であったなら、神は最後まで人間に責任を持たなければ
なりません。又、全知全能であったなら、阪神大震災や東日本大震災のことは当然
分かっていたはずです。
もし神が創造主並びに全知全能であったなら、なんらかの処置をしたはずです。
我々の様な罪深き者でも、あの様な大震災が有ると知っていたら、ほっておく
事は出来ないでしょう。
仏教では、創造とは説かず、因果律を説きます。
全ての物は、必ず原因が有って結果が生じる。
ここにスイカが有るとします。このスイカは種を畑にまいて、水や肥料を施して
やっとスイカが出来ます。これはスイカの種を撒いたのでスイカが出来たので、
キュウリの種を植えてもスイカは出来ません。
又、いくらスイカの種を撒いても、アスファルトの上に撒いてもだめで、
畑の上に撒き(因)、肥料と水を与え手入れをして(縁)やっとスイカ(果)が出来るのです
。即ち因果で有り、その上肥料と水と手入れが縁で有り、従って、仏教では全ての事柄
は因縁果により成り立っていると考えます。
では何故エベン氏は阿弥陀様の事を創造主並びに全知全能と言われたかと言うと、
あくまで私の想像では有りますが、エベン氏はキリスト教世界に生まれキリスト教世界で
育ってこられたので、固定概念として、そのように思われたのでは無いでしょうか?
私もエベン氏にこの質問をしたいと思いましたが、今の所その方法が分からない次第です。
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全く仏教の知らない脳神経外科医が自身の臨死体験により地獄・浄土・阿弥陀仏を証明される
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